結婚と片付けが、私に『季節』を連れてきた話

物の重さは心の重さ
いまここ遺品整理の白坂です。

母から受け取ったバトンと、私なりの「片付け」の定義

「あぁ、もうそんな時期ね」
実家にいた頃、私はよくそんな言葉を口にしていた。

リビングの隅には、いつの間にか紫陽花が揺れ、玄関には小さな雛人形が並ぶ。

食卓にはタケノコご飯が並び、シーツはいつの間にかひんやりとした夏のものに変わっている。

独身の頃、私の暮らしに「季節」は当たり前のように存在していた。

それは、私が何かを努力して手に入れていたわけではない。

モノに溢れた生活をしていなかったのも、部屋の空気がいつも澄んでいたのも、すべては母という「季節の演出家」が、そこにいたからだ。

私はただ、用意された季節の舞台の上で、
その果実を味わうだけの観客だったのだ。

結婚という「作り手」への交代

結婚して、自分たちの家庭を持ったとき、その舞台裏の役割はすべて私に回ってきた。

「これからは、私がこの家に季節を連れてくるんだ」

新生活が始まった当初、私はそんな静かな決意を抱いていた。

母がしてくれたように、お気に入りのお花屋さんを見つけて、旬の食材を選び、暦に合わせてしつらえを変える。そんな「丁寧な暮らし」に憧れていた。

しかし、現実は想像以上に無慈悲だった。

慣れない家事育児の連鎖。(子供は四人おります!)
日々いくていくことだけで精一杯。
玄関に、季節を告げる飾りを置く余裕なんてない。

むしろ、そこにあるのは脱ぎっぱなしの靴と、ポストから出されたままのダイレクトメールの束だ。

ふと気づくと、カレンダーだけがめくられ、部屋の中は「いつのものか分からない景色」で停滞していた。

冬の結露を拭かないまま春が過ぎ、出しっぱなしの厚手のストールが梅雨の湿気を吸っている。

かつて実家で感じていた、あの鮮やかな「季節の輪郭」が、私の家からは消えていた。

「片付け」ができないという、本当の痛み
忙しくて片付けができないとき、私が感じていたのは、単なる「部屋が汚い」というストレスだけではなかった。

それは、「季節を招き入れる資格を失っている」という、どこか寂しい疎外感だった。

季節の花を飾りたいと思っても、花瓶を置くための棚の上が物置になっていれば、花を買うことさえ自分に禁じてしまう。

季節の行事を楽しみたいと思っても、クローゼットの奥に押し込まれた行事の道具を取り出す気力がなければ、それは「なかったこと」にされてしまう。

義両親・実両親から贈られた雛人形や兜が登場することは、例年とはいかなかった。

片付けができないということは、今の自分たちの時間を愛でるための「余白」がないということだ。

母が私に与えてくれていたのは、単に綺麗な部屋ではなく、「今という季節を味わってもいいですよ」という、心の許可証だったのだと、今になって痛感する。

片付けとは、感性を研ぎ澄ます「儀式」

ここで私は、改めて「片付け」という行為を見つめ直してみたい。

それは単にモノを捨て、収納に押し込む作業ではない。
片付けとは、季節を感じ、感謝を感じ、そして自らの感性を高めていくための能動的な行動なのだ。

まず、片付けをすることで「季節」が生まれる。

不要なダイレクトメールを捨て、
冬の間の厚手のコートをクローゼットに収める。

その瞬間に、部屋の中に新しい風が通り抜ける「隙間」ができる。その隙間に初めて、春の沈丁花の香りや、夏の終わりの少し寂しい風が入り込んでくるのだ。

そして、私は片付けは「感謝」に繋がっていると思う。

「この冬、私を温めてくれてありがとう」
「この道具があったから、美味しい料理が作れた」
モノを一つひとつ手に取り、今の自分に必要かどうかを問う作業は、今まで自分を支えてくれた環境に対する、深い感謝の儀式に他ならない。

そうして整えられた空間に身を置くとき、私たちの「感性」は驚くほど鋭くなる。

床にモノがないからこそ、
窓から差し込む光の角度の変化に気づける。

棚の上が清められているからこそ
一輪の花が持つ生命力の強さに心から感動できる。

片付けとは、濁ってしまった心のレンズを、
もう一度丁寧に磨き上げる作業なのだ。

私なりの「季節」の作り方

今の私は、まだ母のように完璧に季節を操ることはできない。
忙しさに負けて、部屋が少しずつ淀んでしまう日も、
正直に言って、まだたくさんある。

けれど、今は「片付け」を苦行だとは思わないようにしている。
それは、私たちがこの家で「今」を生きるための、一番贅沢な準備運動なのだ。

もし、この記事を読んでいるあなたも、
忙しさに追われて季節を見失っているとしたら。

大きなことをする必要はない。

ただ、テーブルの上の余計なものをひとつ片付けてみる。
その数センチの空白が、あなたに「あ、風が変わったな」と気づかせてくれるはずだ。

結婚して、自分が暮らしの主(あるじ)になった。

それは、母から受け取ったバトンを握りしめ、自分なりの季節を編集していく旅の始まり。

明日、少しだけ早起きをして、部屋に溜まった「過去」を整理しよう。
そこに、まだ見ぬ新しい季節を招き入れるために。

片付けという名の、最高の感性の磨き方を、私はこれからも大切にし、お客様にその価値を提供していきたい。

最後までお読みいただきありがとうございます。

よかったら私と繋がってください。
フォロー&コメントも大歓迎です。
私も積極的につながりに行きます!
またお会いできますように。

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